日本人は昔からうなぎが大好きです。
他にもうなぎは世界各地で食べられているのですが、開いて骨を取り串を打ちタレをつけて焼く、いわゆる「うなぎの蒲焼」を食べるのは日本だけだそうです。「ウナギの蒲焼」は日本の伝統料理なのです。
それではいつ頃から日本人はうなぎを食べるようになったのでしょうか。
縄文時代の貝塚からうなぎが見つかっています。
約5000年も前の縄文時代の貝塚から、食べた形跡のあるうなぎの骨が見つかっていて、うなぎを食べる習慣があったと考えられます。うなぎの骨はうなぎの回遊ルートになっている黒潮が流れる太平洋岸、特に東京湾や仙台湾周辺にある遺跡から多く見つかっています。 古代の日本人にとって、川で獲れる栄養価の高いうなぎは、身近で採れる重要な栄養源だったと言えます。
縄文時代のイメージとしては、狩猟で生活をしていた原始的な生活という印象が強いかもしれませんが、実はかなり高度な文明だったということがわかっていきています。食文化についてもパンを作ったり果実酒を作ったり、グルメな生活をしていたようです。
「万葉集」にもうなぎにまつわる歌があります。
文献では「万葉集」にうなぎを食べていたということがわかる歌集が残されています。このことからも奈良時代にうなぎを食べていたということがわかります。
・石麻呂に吾(あれ)もの申す夏やせによしといふ物そむなぎ取り食(め)せ
・痩す痩すも生けらば在らむをはたやはたむなぎを捕ると川に流るな
作者:大伴家持
うなぎが食文化として定着したのは江戸時代
うなぎが食べられていたのは縄文時代ごろからだろうと推測されますが、本格的な食文化としてうなぎが定着したのは江戸時代になってからと言えるでしょう。
江戸時代初期、徳川家康の政策で江戸の開発を進めていく際に、干拓によってできた湿地にうなぎが住みつき、うなぎが労働者の食べ物として定着していきました。その後、うなぎの蒲焼が大流行するようになりました。
うなぎの蒲焼はいつから食べられていた?
うなぎが蒲焼として食べられるようになったのは、室町時代からとなります。
室町時代では、鰻を筒切のまま串にさして焼き、その姿が「蒲の穂」に似ていたことから蒲焼と呼ばれるようになったと言われています。
うなぎを使った料理の中で特に人気のある「ひつまぶし」ですが、今や全国で食べられるようになりました。 その発祥、ルーツはというと、愛知県名古屋市からはじまったと言われます。愛知県名古屋市熱田神宮前の「あつた蓬莱軒」が発祥の地となっています。
木のお櫃(ひつ)に入れられていることと、まぶし(混ぜ)て食べることから、「ひつまぶし」という名前が付いたと言われています。だし汁をかけて細かくきざんだうなぎご飯の料理が好評だったため定着しひつまぶしが誕生しました。以来日本全国に伝わりウナギ料理の定番として多くの人々に親しまれています。
秋の土用の丑の日
実はうなぎの旬は秋から冬にかけてです。冬を越すために栄養を蓄え、脂がのってきて身が柔らかくなります。冬を迎える前のこの季節に栄養価の高いうなぎを食べて、冬を越す準備をしてみてはいかがでしょうか。
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